ちくわの気まぐれ妊活ブログ

稽留流産から妊娠・出産を目指して

✳︎初妊娠④

一気に書こうと思ったものの、なかなか思うように文章が出てこず。。。

流産の経験と直接関係のないことも書いておこうと思っています。
短かった妊婦生活で、色々あったこと、知ったこと、考えていたこと、たくさんあります。
それらを一度に失くしてしまったときの、気持ちのやり場がないという苦しさは、流産を経験した人にはよく理解していただけるのではと思います。ただ悲しいだけではなくて、自分の気持ちがわからなくなったり、腹立たしかったり、どうしてこんなことになったのか理由探しをしてみたり。。。毎日そんなことの繰り返しで、よくここまで来れたなぁ私。


さて、前回は産婦人科を変えた話をしましたが、転院した理由は実はもう一つあります。
それは義実家から近すぎる(^_^;)という理由です。(だって歩いて数分なんだもん、、、)


ちなみに義両親は本当に気さくで静かな方たちで、あれやこれや口出ししてくることもなく有難い存在なのです。が、静かすぎて口下手なのが災いし、たまにモヤっとさせられる発言があったり。あとはやたらと義兄に甘く、納税などの際にお義母さんが黙って支払ってあげておいたり。義兄もちょっと変わった人で、挨拶しても毎回毎回見事にスルー。それを見てるお義母さんも「あらあら」みたいな反応で…結局2回くらいしか話したことがありません。
正直やりづらいところがあったり、デリカシーないなぁと感じることがあるのはあります。


でもまぁ、早く子ども産め!とか催促されるよりよっぽどマシかなと思ってたんです。
程よい距離感で、安定期になったら連絡しようと考えていました。


ところが事情があって、安定期に入る前に妊娠報告しなければならなくなりました。
それで主人と一緒に言いに行ったとき、えっ?となることがありました。


お義母さんは何故か、「親戚の〇〇さんは高齢の時に産んだ子どもだから、言ってなかったけど軽く障がいがある。そうじゃなくてよかったね」って言ったんです。


絶句。
私、本当に何も言えなかった…。


まだ心拍も確認できてないタイミングで、初めての妊娠だから怖いこともたくさんあって、障がいがあったらどうすればいいんだろうと思うこともありました。それでも、どんな子どもでも一つしかない命なんだから大切にしなきゃいけないということは分かっていたので、何があっても頑張ろうというつもりでいました。


お義母さんは、高齢出産じゃないからリスクが少なくてよかったね、ということを言いたかったのかなぁと思うんです。
だけどその時は妊娠中で、若干神経質になっていて、色々なことに過敏な時期だったから、はぁ?!って思って、だけど口には出せず…。


障がいがないこと前提になっているのは何故?!
よかったね、って何が?!
って、すごい腹立ちましたね。


何も言えなかったので、時間が経つにつれて余計に考えこんでしまいました。
赤ちゃんが生まれるまで義実家の近くの病院に通わなくてはならない=健診のたびに顔を出さなくてはならない、という状況になるのがだんだん苦痛に思えてきて、他の理由も加味して転院することにしました。


あとは義実家への流産の報告は、主人からしてもらい、手術の一ヶ月後くらいに顔を出しに行きました。


そしたらまた「もしそのまま流産せずに生まれていたら、赤ちゃんの体に不自由があって大変な思いをしたかもしれないし、そう思ったら良かったんじゃない?」って、ほんと慰めになってない慰め方をしてもらいましたよ(笑)


多分ちょっとした言葉のチョイスが悪いんだと思うんです。
ただ流産直後で、どんな形でも赤ちゃんに会いたかったと思っていた私は苦笑するしかなかったですね。
お義母さんは流産と死産を経験されていて、私以上にたくさんの辛いことがあったと思うんです。
だけどその言い方はないわ…
男兄弟のお母さんってこんなもんなのかなぁ?


なんだかほとんど愚痴になってしまいました。
妊娠中&手術1〜2ヶ月後くらいまではかなりナーバスでした。細かいことが目について、だからいちいち気になってたんだと思います。
今はまた程よい距離感を保って、お付き合いしています。